あの時を忘れない

2018年9月。動画でもすでに出しているので別に隠すようなことではないですが、私は1度離婚をしています。

当時、2013年~東京で展開したパーソナルジムがあったんですが、その時に結婚した元嫁がいました。好きになった弱みというのもありますが、別れた経緯は省きますが、それでも少しでも次のスタートを彼女が困ることがないようになけなしのお金をすべて渡して、別れました。

その際に、自宅というコストがあると生きるのが大変だと考え、自宅を捨てることを選択しました。

それから8か月間ほどのホームレス生活を過ごしていました。

皆さんが想像するような公園で段ボールという生活ではなく、自分の持っている能力と、かねてからやってみたかった「投げ銭ランニングセミナー」を実施することにしました。直前のレースで足底筋膜炎を起こしてろくに走れない体で足の痛みに耐えながらの巡業となったので非常に苦労しましたが、それでもまだ1万人の登録にも満たない私に期待して動画を通じて多くの方が企画に参加してくれて、投げ銭という形式もあり、大変多くの方との出会いを作ることができました。

その後、貯めたお金を元手にしてフィリピンに英語留学する機会をいただき、3か月という短期留学でしたが、人生で一番苦手な英語にチャレンジして、日常英会話には困らない程度には話せるようになり、その後マレーシアのボルネオ島にてバックパッカーで1か月回遊しながら日本が暖かくなる春を待ち、さまざまな経験をしました。

タイトルにあるようなイメージだとすごい辛い思いをしたと勘違いする方もいると思うんですが、経験的にはすごく良い思い出になっただけですが、その時は屋根があるところで寝れるだけありがたいなとか、毎日ちゃんとシャワー浴びれて最高だなとか、フィリピンのストリートチルドレンを見て自分の置かれた現状なんて取るに足りないなとか、いろいろ思うことがありました。

元からそれほど物欲がある人間ではないので付き合いや意味がない限りは物を買うことをほとんどしないのですが、それにより磨きがかかり、いつでもいなくなれるようにバックに収まるものしか買わないようにしようと考えるようになり、だれかに好かれたり、だれかに愛されるのも少し苦手で、いつでも次の行動に移せるような生活をしていました。

そんな私は、なまじ得た英語の能力を磨きをかけて渡米をいつかしてみようと漠然と思っていました。

結果としてコロナで行き場を失い、実家に戻り、展開しようとした事業に先駆けて開催した地元のセミナーで妻にであい、4年という短い時間で結婚と子ども2人を授かり、今に至るのですが、いろんな人に支えていただき、現在ではそれなりの事業ができるようになって前向きになっています。

でも、やっぱりあの時、お金もなければ自信がなくても、自分の好きなことを通じて広がる世界観に可能性を感じたことや、いろんな方に出会い、今に至るつながりや意味をくれたことへの感謝は忘れたくない。

楽しい思い出がたくさんあったけど、それと同じくらいにはどこか悲しくて正直、いつ死んでも別にいいやと少し投げやりに生きていた僕を応援してくれた人たちや違う価値観の中で楽しく生きる諸外国の友人たちが見せてくれた姿はやっぱり忘れたくはないと思っています。

今でこそ、地域やひとに少しとらわれてかつての自由度はなくなっていますが、それは閉塞的な意味ではなく、幸せであるからこそ大事にしたいと思っているのですが、逆に事業を通じてこんな幸せな中でもやりたいことを表現して、会いたい人に会えて、魅力のある時間を過ごして、かつての友人や行きついた国や地域、いまだ知らない場所へ行けて、新しい考え方や発想を得る機会があればと思います。

夢はかつてお世話になって、大好きな東南アジアで駅伝大会を開催することです。

そのためにもそのために必要なプロセスのために学ぶべきことを考えて行動に移せるように頑張りたいと思っています。

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