- 株式会社オン・ユア・マーク 代表取締役
- 最古参ランチューバー / ランたなちゃんねる運営者(4.5万人登録)
- プロランニングコーチ(全国47都道府県コーチング経験あり)
- スポーツマラソンイベントコーディネーター
- 陸上競技歴 小学2年生~現在も継続中
2020年11月までの活動について
主に東京を中心にランニングにかかわるイベント事業やコーチングをベースに従事。パーソナルトレーニングジムの運営を行いながら、トレーナーとしても経験があります。過去に、大手スポーツメーカーのプロダクト研修スタッフや販促イベントなどを通じて得た経験などからランニングの専門チャンネル「ランたなちゃんねる」として最古参のランニングユーチューバーとして活動を2017年10月より開始しました。
何者でもなかった自分にファンが付き、企画の中で立案した「日本縦断投げ銭ランニングセミナー」を通じて全国47都道府県のランニングセミナーを敢行し、2021年に完遂。年間200回の特別セミナーを各地で実施しました。
今では当たり前になった動画編集の手法や見せ方の基礎や、大手メーカーとのコラボによる商品PRなど業界としては珍しいランニングインフルエンサーとしての先駆けを行ってきました。
とある事情をきっかけにホームレスとなり、日本も寒くなってきたことを理由にフィリピンの英語留学を経験。元々アジア圏の旅が好きなことや英語への克服意識が強かったことから、日常英会話レベルまでできるようになりました。
自分にとってはかつてない経験をさせていただき、人生でもっとも苦手なことに打ち込み形にできたのは当時34にもなるおっさんとしては良い経験だったと感じました。
その後マレーシアをバックパッカーで生活しながらマラソンを通じて友達を作るなど、これまでにないアクティブな経験をしました。同時に、多言語への理解を挑戦する現地の若者たちを前にして日本の学生たちの適応力や対応力というものに大きな差を感じ、危惧したことも感じました。
コロナ禍に入ってから活動の幅が狭くなり、マラソン大会の開催も全国的になくなる中でオンライン上で交流や大会が活性化。しかし、無償だったり無料だったりと元々参加費という生産性があって成り立つ大会事業に価値がなくなることを危惧して全国初の有料オンラインマラソン大会「ランたなデジタルマラソン」を企画。全国から600名を超える参加をいただき、業界でも話題となる取り組みを実施しました。
コロナ禍の閉塞感が改善されないまま、行き場も資金も無くなったため実家である広島県福山市に帰郷。その際に、地元で親しまれたマラソン大会「ふくやまマラソン」が2年連続で中止を決定し、時間がたってもスポーツが街が活性化しないという閉塞感は改善されないままでした。
2020年11月以降の地元から始まる中四国地域への取り組み
すぐに「ふくやまマラソン」に変わる大会をコロナ禍でも作ることを心に決め、地元のランナーたちに声をかけて企画実現のための仲間づくりのために年末に地域初の30km練習会を60名ほどで実施。
その後、事業者向けの事業持続化給付金を元に「第1回福山あしだがわマラソン」を開催。
何もわからない中、大会を1から作るという苦行となりましたが、全国から600名を超える参加者を動員し、地元で民間事業者が行う初のマラソン大会の幕開けとなりました。これら大会は1度目は大きな事業赤字を抱えているリスクなどから、持続化するために新規事業を立ち上げ内製化を図り、大会のスタートアップを応援できる形へと取り組みを進めました。
また、行政諸団体や地域の仲間を作る目的で2021年より一般社団法人福山青年会議所に在籍。まちづくり・ひとづくりの取り組みを学び、地域に貢献できる取り組み方を学んできました。2023年は広島ブロック協議会総務広報委員長として、2024年は福山青年会議所組織力向上委員会として活動してまいりました。(2024年12月で卒業)
2023年からは地元福山市以外の地域に積極的な展開をスタートし、愛媛県新居浜市や山口県山口市などで開催が可能なエリアを発掘し、地域とのコミュニケーションを行いながら持続的な取り組みができる大会運営を目指し日々奔走しています。
2025年現在、宮島マラソンの運営主催を引き継ぎ、1000人を超える公道マラソン大会への対応を経験。
さらに、取引先として銀行から駅伝やリレー大会の計測をご依頼いただくようになりました。
さらに、広島県大竹市の瀬戸内リレーマラソンin大竹を1回目から主管させていただき、運営や企画・クリエイティブデザイン・HP管理など多岐にわたってサポートをさせていただき、地域のにぎわいの創出に貢献しております。
- 2021年:主催件数2回、依頼件数0回
- 2022年:主催件数6回、依頼件数0回
- 2023年:主催件数10回、依頼件数3回
- 2024年:主催件数11回、依頼件数11回
- 2025年予定:主催件数24回、依頼件数10回
また、地元企業とのコラボで商品開発も手がけるようになり、地元の特徴である作業系ウェアをスポーツシーンでも活かせるような取り組みを進めており、物販事業への足がかりを進めています。
また、地方は都市部に比べて教える人が少なく、魅力的なコンテンツがまだまだ少ないという現実があります。ただ走るだけではなく、根幹となるコーチとしての役割も担うことができる大会を作ることもめざし、地域のトレーナーと協力して大会時により多くの方に学びとなる場を作ることを計画し、ランナーの皆さまのRUNライフ向上をめざした取り組みを行っています。
また、2025年地元の祭である「ばら祭」では、ばら街ロゲイニングという散策型スポーツ観光事業を実施。地域の多様なニーズや取り組みを応援できるソフトを実施でき、マラソンというカテゴリーにおいては広島県には当社以上に知見のある会社はおそらくありません。そして、マラソンという分野でこれだけ実践形式で広く話ができる人間は日本に僕しかいません。
以上が当社代表の田中康二ことランたなが取り組んできた事業の流れと自己紹介となります。
競技実績
- 広島県福山市神辺町にて湯田陸上教室より競技開始。4年生から短距離の才能がないと感じたことから中長距離を志すようになり、夢をマラソン選手になることを掲げました。
- 広島県福山市神辺中学校にて、PB3000m9分20秒。県大会決勝進出。広島県中学校駅伝1区にて区間11位で毎年30番前後の学校を発進させる。実績を認めてもらい、スポーツ推薦にて進学。
- 広島県三原市如水館高等学校へ進学。PB5000m14分58秒。高校2年生時、高校県駅伝大会にて6区区間賞を獲得し、チーム初優勝に貢献。全国高校駅伝では4区を担当。
- 千葉県我孫子市中央学院大学に進学し、箱根駅伝を目指す。しかし、高校時代最終年からわずらった「ぬけぬけ病」によって結果が振るわず、理解も得ることができず、故障も多く挫折。しかし、奮起した結果、大学2年生時にハーフマラソン1時間5分13秒をマークし、レギュラーに選出。不参加となったが、最終メンバーに残る。しかし、「ぬけぬけ病」が治らず、腰痛に苦しみ、チームを完全離脱。医師の診断のもと、壊れても続けるか、やめるかを選択することになり、3年生終盤で退部し、14年間の競技人生に終止符を打ちました。
- 1年の休止を経て奇跡的に治療方法が体にマッチする治療院に巡り合い、痛みがありながらも走れるようになり、大学4年生終盤に市民ランナーとして復帰し、ハーフマラソン71分台で走り埼玉のマラソン大会で優勝。
- 以後、市民ランナーというよりも経験を活かしてコーチングを開始。トレーナーに関する資格を通じて知識をつけ、実務経験を培い、現在もプロコーチとして活動。マラソン大会への参加は主体的には行っておらず、応援することを信条に取り組んでいます。
競技記録
- 1000m 2分41秒
- 1500m 4分19秒(社会人記録)
- 3000m 9分20秒(中学3年生)
- 5000m 14分49秒(大学2年生)
- 10000m 30分30秒(大学2年生)
- ハーフマラソン 1時間5分13秒(大学2年生)
- フルマラソン 2時間30分2秒(社会人)