スポーツビジネスは「自己犠牲」で成り立つ世界

僕は曲がりにも会社の代表であり、この社会になにか力になりたいと願う人間です。

そんな僕ですが、先日開催した大会もそうなんですが「自分が犠牲になればいいや」という自己犠牲精神が強いです。
でもそうして自分の利益を一番最後に持っていっても変えたいものがあったり為したいことがある時には非常に力強く働くマインドで僕には必要な行動力・原動力となったのは言うまでもないです。

しかし、私自身が雇用される側でこれだけの仕事を為して「利益なかったから給料なしね?」って言われたら・・・

正直、なにも成り立っていない。社会の循環の力と成れる存在になるためにも「雇用を生み出す」「競合ではなく新しい力と価値観」を創る必要があると思っています。だから、自分が自己犠牲になることで納得してるだけでゴールは掴めないというのが現状です。

今日のブログ内容は大変偉そうなものいいと感じるかもしれませんが一応これらは事実で経験した結果を書いていることご理解ください。

スポーツ・フィットネスは学が必要?

いわゆる。一般的な仕事をする人間からすればこの世界は人前に立ち、人の健康や生きがいを提供する素晴らしい仕事や役割に感じる方は多くいると思います。その実、中身は自己犠牲精神で溢れている。

先日とある提案のために会社訪問をした際に質問したのですが皆さんも少しだけ考えてほしい。最後に答えを書きます。

  • 45分〜50分のフィットネスプログラムをインストラクターが提供したらいくらもらえるか?

よかったら下記の文章を見ながら考えてほしい。

僕は23歳で1年空いてようやく就職した愛知県の優良企業と言われた専門商社をわずか半年でやめた。やりがいを感じなかったというのが大きな理由になる。大学3年生を終えてまもなく僕は寮を出た。箱根駅伝出場を諦めた。体もそうだけど心も壊れてまともに走れる状態ではなかった。自分の目標と夢に投資してくれた親に迷惑をかけれず知りもしないアルバイトを始めた。当初は何をしてもだめで世間の一般常識がそもそもわからず困惑する毎日だった。

しかし、その中でもホテルバンケット(配膳)の仕事で一流ホテルの仕事に携わるようになって、人に喜んでもらうことの素晴らしさを感じた。だから同じ給料でも楽な仕事よりもやりがいや人のためになることをしたいと願っていた。

ちなみにそんな奉仕精神があるにもかかわらずスポーツ関連の就職は一切受からなかった。採用面接でアルバイトすら受からなかった僕は自分の経験と競技感にまだ自信があったのか未練があったのか、自分のことばかり話をしていた気がする。そらうからない。人のためになることが会社の利益を生むのにその気がないんだから。

だから他業種の未知の仕事の方が僕の根底にある人のためになりたいという気持ちを表現するにはいい方法だったのかもしれない。おかげでちょっと遅咲きの社会デビューは自分なりに充実したが、同時にやりたいことを見つけることができず就職浪人を経験し、やっと勤めた会社も半年でやめた。

スポーツの仕事がしたかったのです。当時24歳。10月の自分の誕生日月に部長に辞表を出してめちゃめちゃ怒られた。

『ここまで利益を出せないお前に会社が出した経費は200万超えるぞ!俺ならせめてそれを返してからやめるぞ!!』っと

今では笑い話だが、当時はもう少しやりがいを自分の発想から作れなかったのかと当時の柔軟性のなさと、自己の抱える不満を会社のせいにしすぎていたと反省する点が多い。知り合いからは優良企業をやめるとかなんでだと責め立てられました。
そうしてでも自分がやりたいことを実現したい。スポーツで仕事をしたいという夢を捨てることができず、確証もないまま飛び出した。あてはなかった。

箱根駅伝もそうだが夢がある。そして実業団というシステムも合間ってそこに情熱を傾ける理由がある。それが現在のトップジュニアの問題となっている。僕なんかタチが悪い。才能もない実績もないのにそこにすがって大学3年生までがんばってしまったからだ。そうなるとどうなるか?

  • 世間知らずで社会構造などを知らない
  • 自分の得意分野以外での自己分析が不足しできることがわからない
  • 得意なこと以外で対人関係力を発揮できない
  • 得意なこと以外でやりたいことがわからない
  • お金の使い方稼ぎ方がわからない
  • 中長期のビジョンがない
  • 実現性や持続性を意識してない短期的問題解決ばかり優先する

こんなおっさんになるまでわからないことでもあるんですが、当時の僕にもしアドバイスすることがあるなら。当時アルバイトで稼いだ額はそれなりに多く、そのお金で卒業とともに語学留学を半年、ワーキングホリデー半年を実施。100万もあればできる。4年生時にバイト頑張ればそれくらいの金はすぐ貯まる。

残念ながら一般の学生よりも純粋で尖った領域で戦ってきた人間に「こんな方法あるよ!」っと曲がったこと伝えても本人が興味を示せないか、もしくは指導者によって阻まれる。僕も底辺ながらジュニアエリート経験者なのでその課題を実際に指導してくれた母校の監督に話したことがある。その答えはこうだった・・・

「いらない話だな」

そこには誰のために全国を目指し、所属する生徒を強くするのかわからない回答があった。
生徒の将来を想い、現役で長くても30歳前後で引退しその先、約30年以上も戦う仕事という将来を無視して指導する環境がこの日本には立派に存在するのだから。また、中途半端に実業団やらプロという夢がメディアやSNSで筒抜けになるので綺麗なところばかりを見てしまうので理想が生まれてしまう。できなくてもスポーツという分野で仕事ができればいいと、スポーツで仕事を継続する難しさがわかってない、知らないが上に軽んじていると思う。

ちなみに上記の中途半端な実業団やプロという言葉に怒りを感じる方もいると思うが、それはサッカーも野球も同じです。

大金を得ても適切な投資がわからない、セカンドキャリアの構築がうまくいかず、社会や世間・地域との関わり方がわからずに途方に暮れる選手は多いと聞きます。陸上競技であれば、同期入社で現場で仕事をこなした目に見える形で会社に貢献を続けた人間の方が地位が高いのだ。同じキャリアとして扱われない。当たり障りのない仕事に送られて、それまでやりがいのある檜舞台から一転してデータ入力の日々になる。そこにやりがいがあればいいが業務内容によっては死ぬほど苦痛だろう。

単純に出口を作るスキルやキャリアがないんだ

これはプロだろうとジュニアトップでも変わらない。走ってきて得た経験や人生が仕事の場で転用できない「応用力」がスキルがないために使えないのだろうと思う。中にはエクセルやワードなどの基本操作もわからない人もいるだろう。
※ちなみに僕は入社前に恥ずかしいので1ヶ月かけて資格取りました

僕はもっと落ち着いて自分にできる学びを作ればよかったと後悔してる。メンターがいれば変わったと思うが、だれも頼る人間がいなかった。部を退部して世間から見放され、同じ現場で仕事をする人間としかかかわらないと視野がどうしても狭くなる。僕はもっと自分がいままで大切にしてきた陸上・ランニングの経験を他の組織で発揮すればよかったと思う。
※ただし、体も心も壊れて動かず1年間近いブランクができ、修正に時間がかかった

実際にいまでこそトレーナーとして指導する側に立っていると、非常にキャリア豊かな方々に出会う機会がある。過去には上場企業の社長や、ベンチャーで100億突破の社長、10年間で数百という店舗経営をなす社長、海外や国内で重宝されるビジネスマンや知力に溢れた女社長さんなど、本当に素晴らしいご縁をたくさん頂けました。それくらいの大きな可能性を秘めているのがこの世界です。そうした方々に僭越ながらご指導させて頂けるのは自分が経験したことないキャリアを埋めるには非常に有意義だと思います。しかし、同時にそうした経験をお聞きする際に「話がわからなければ」意味がないんです。
残念ですが私も学が優れた人間ではないため年商100億を超える企業の作り方なんか聞いてもわからないです。でもそのマインドを応用して自分の今やるべきことや課題を見つけることはできるし、知らない経験を見聞できるのは他の方と話すためには貴重な機会です。だから、僕が言ってもなかなか理解できないと思うし、そんなえらそうな実績はないんですが・・・

「馬鹿じゃだめなんです」

僕も正直大概ですよ?いまだに足りない人間力をどうやって補うか?足りない知恵を補うか?いつも考えています。

ただ、それら足りない経験や知識を補ってなお尊敬されることは
それは行動力です。

正直頭で描くまではみんなやるけど「実行できないこと」がこの世では遥かに多い。自転車やランニングで日本を回るとか、バックパッカーで世界回ったとか、言葉わからないけど住んでたら彼女ができたとか、知らない国で死にそうになったとか、経験に勝る説得力はそうないです。

「え?でもやってないんでしょ?」

それで全て片がつきます。そして人が経験したことないことは興味が湧くので自分のキャリアに興味を持ってもらうきっかけを作れます。

だから、馬鹿でもそこに責任持って行動できる人間には人がつきます。だから、時にはお金や時間や立場を凌駕して勇気を出してチャレンジすることも大事なことで、僕らがアスリートとして自分が輝く舞台のために下積み頑張ってきたことと実はそう大差ないのかもしれません。そうした時に良識あるメンターに指導してもらえたらいいですね。

少し戻りますが、
僕は幸いにも、退社後半年でA社の外部事業委託という枠組みで自分の好きな世界を経験できた。自分の経験が活きたが、同時にのしかかったのは基本的な社会人経験と英語力だった。外資系のその企業では派遣でさえTOEIC750点以上の英語力が必要だったのです。社内文書は幹部は英語でやりとりされていました。日々アグレッシブな活動をしていたそのスピード感に僕はいろんな意味でついていけなかったし多くの反省を残して1年後クビになりました。結果は出せていたけどそれを伝えるコミュニケーションとか処世術などが不足していた。現状を正しく理解して、事業課題と将来的なビジョンを結果として提出できれば生き残れたと思う。

その後、系列の施設でマネジメントや教育担当をしながらフィットネス関連の資格取得の学校を掛け持ちして通い、1年後に資格取得のために退社して独立。資格取得後に正式にプロコーチとして独立しました。
※まあ、いま思えばいい勉強にはなったけど資格は不要でした

その時に得たスキルでフィットネス関連の施設就職やリラクゼーション関連の仕事はつくことができたと思いますが、あえて自分の道で進んだ結果、まあなかなか香ばしい経験を経て今になります。

経験の中で学べばいいんだという考え方もありますが、会社や仕事は別にあなたの成長機会の「手段」ではなく、「結果論」であり、成果を出さなければ切られて文句のない世界だと思うのです。おそらく新卒入社なんて言葉があるのは日本特有なはずですが、海外視点なら若いことはメリットとして働くけど、負債になるなら育てようって思わないと思います。

とあるフィリピンで不動産関連の仕事をされる社長とお話しさせて頂いた時に、日本人の若者が雇って欲しいと連絡してきて給与希望の話になって日本人と同じくらいという回答をされて不採用にしたと聞きました。人種で給料が決まるなんて通りが海外で通じるわけないし、現地の言葉が喋れて英語まで喋れて事情がわかる真面目なフィリピン人と比較されたら価値がないことなんて一発でわかると思います。
(ただ、日本で圧倒的な人脈とセールス力があれば話は変わりますが)

学生ならば自分の目指す方向性の先に何をしたいのか?中長期的に自分のキャリアを俯瞰してやりたいことを想像して今なにをすべきか考えるべきだし、トッププロなら需要がありお金があるうちにその先の夢をさらに描き子供達に見せて欲しい。
僕はそう思っています。

クラブ化やジム設営しなかった理由

過去にどちらも経験しています。

正直、自分にはどちらも向いていなかったかもしれないんであまり説得力ないし、それを信じてサービスを受けてくださった皆さんには深くお詫びしたいのですが、その経験を持って「今やるべきではない」と思っています。

自分だけの将来を支えるならそれでもいいと思うのですが、これらのビジネスには課題があります。

例えば、クラブ経営。稼働時間稼働域はせまいです。夕方〜夜の時間で子供〜大人まで広く見れたらいいですが同じ顧客が明日も明後日も毎日来てくれるわけではないので質の違う異なる顧客を抱えていかなければなりません。月単位の会費で人を雇えるほどのボリュームで事業展開できたクラブはほとんどないし、不動産を扱った別ビジネスをやっていたり、より高い生産性のある事業をクラブだけではない領域で如何に作れるかが課題です。

下記ですが別にクラブ運営を否定するわけではないです。事業を大きくする過程ですでに破綻している可能性があるという話です。契約やビジョンで解消できると思うのですが簡単ではないという話です。

仮に50人の子供を抱えているクラブがあっても月単位で入るお金は30万。一人が見る分にはまだいいですが、リスクヘッジや多店舗化するとなるとスタッフをいれないといけない。そもそも許可申請が取れてるかどうかわからないところでグレーな商売しているのに青空教室でどんなに苦労しても貰える金額変わらないってなったら、その世界に憧れを抱く現場の人間なら正直独立を視野に入れるでしょう。
目の前には自分がすで見ている信頼された関係のある生徒と保護者。どんなに努力しても上がらない給与制度。簡素な施設と制度。そこでコーチングを担当する先生はここじゃなきゃできない理由が何一つないんです。それで待遇悪いならそら独立もしたくなる。

この領域はフランチャイズ形式で任せて、独立採算制にしつつ、母体となる事業を別に作って日中の稼働課題をクリアにしないと展開してはいけない気がするんです。その点、親和性が高そうなジム経営も圧倒的な現場ならいいですが、個人最良で構築できる程度で展開しても大きくできる可能性は低いし、パーソナルトレーニングを低価格でトレーナー使い倒して、他のサービスで売上出すような経営を始める会社があったら淘汰されてしまう。

っと僕は考えているので、仮に僕がクラブ化して子供や大人のコミュニティーを作るにしても今じゃないし、小さなジムを作るようではこの地域課題を解決できるきっかけを失うことにつながると思ったのでやめました。

もっとスポーツビジネスには可能性があると思うんですが、上記のように自己満足でマーケットが小さくなってしまう側面があったり、自己犠牲精神が強く単価の低い仕事を平気で続けれてしまうマインドがあります。資格を取得するのに多額のお金を注ぎ込んだにもかかわらずです。

答えは・・・

冒頭の答えですがあくまで相場ですが4000円前後です

都内で薄利多売なところだと2000円台でもあります。趣味程度で小遣い稼ぎできればいい主婦みたいな人がいたりするからだと思うんですが、エアロの先生なんてあれだけ体を毎日酷使して踊り続けて声を出して体を張って仕事して1日1万円超えれるように頑張る感じです。

僕も過去には年商ベースで1000万程度までは行ったことありますが、予約の取れないランニングコーチ化して日々忙しく動いていましたし、同時に勉強もしていて毎日寝不足でした。額を聞くとすごいなと知らない人や学生は思うかもしれませんが、全然そんなことはないし、同時に経営したパーソナルトレーニングジムは当初は他人任せでしたが毎月50万以上のお金が出ていく始末です。毎日頭抱えて悩んでいました。

ここを主体的に取り組んでいく方が僕を含めていますが、決して楽ではない上に自分の体が有限である以上は何かしらのシステムや二毛作的な息抜きビジネスや他のスキルを用いて生産する力が必要になると思います。そしてこうして自らの技術や経験を形にして健康ややりがいを提供する指導者が気持ちよく取り組んでいけるようにするには何が必要なのか?どうしたら実現できるか?これは業界の課題になっています。

来年はここに着手し、まずは自分の手に届く範囲で改善に向けた努力ができるように責任と行動力でカバーしていきたいと考えています。

いろいろ偉そうなことを書きましたが僕はできていない側の人間です。知恵や勇気など様々足りないものがあります。そんな私におすすめの本とか教材があればよかったら教えてください。よろしくお願いします。

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スポーツビジネスは「自己犠牲」で成り立つ世界”へ2件のコメント

  1. 相河義和 より:

    長い文章ありがとうございます。
    たなーさんのキャリアや考え方が少しなりとも分かりました。

    体育の先生、定年退職まで後6年くらい…。走ることや運動は、まず趣味としてずっと続けていきたいんだけど、仕事としてどうなのかな。65まで講師で先生続けるのかな。

    若い頃は、先生キャリア活かしてクラブ立ち上げたり、やっぱりイベント運営したりしてみたいと思ってみたり。

    結局公務員、先生って先生しかできないのかな。

    何かグチになってますね。

    1. runtaner より:

      先生だから見える社会問題を可視化して、その課題が見えない僕みたいな人を繋いであげることはできると思うんですよね。結局それぞれの科目が好きで得意じゃないと楽しさや面白さを伝えれず生徒は主体性を失い、その時間が「無意識」になる。
      意識する時間が多いということは良し悪し含めて興味はあるんです。興味があれば成長機会を作れます。先生方もめんどうだな嫌だなと思うことが日々の業務に多いと生徒に思いが反映してしまう。膨大な業務量を振り分けて委託することは悪いことでないし、子供の成長のためなら副業的にでも関わりたい人間は多いものですが課題が可視化されてないので僕らでは手が出せないです。教育機関が変わっていかないといけないのでその部分を見えるようにしてほしいです。

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