当たり前ではない。平和だからできること
まずは、あけましてっと申し上げたいところですが、
能登半島大震災による被災された皆様、航空機事故や北九州大火災など多くの災難に見舞われ、今も辛い日々を送っている方やお亡くなりになった方々に対し、哀悼の意を表したいと思います。
年末年始関わらず私は社業として大きな企画への対応があり仕事をしておりました。
「あれ、なんかへんな揺れを感じる」
当方地域では震度1~2と体感できるかどうか程度の揺れでしたが、
その揺れがまさかこれほど大きな自体を招いているとは思いもしませんでした。
その後、日を追うごとに起きる悲惨な状況や度重なる事故による悲しみを見て思ったのは、福島大震災やコロナ禍でした。
福島の震災では想像を絶する悲惨な状況を作り、多くの方が苦しんだ背景から日本全体が自粛する雰囲気となり、まちから灯が消えたことを今でも覚えています。
その時の経験から重要なのは「平常の生活を行い、経済を循環しつつも、自分にできる支援をする」です。これに尽きます。関係がないというわけではないですが、被災地域ではない方々がそうした循環を止めることで日本全体の経済の停滞を招き、その連鎖が関連する事業者の収益を落とし、そこに従事する労働者や関係者が悲しむ結果となり、問題はさらに大きくなる。
悲しんでも何も生まない
という事実です。だから、その得た利益からできる支援を行うことが正しい姿だと思っています。
コロナ禍ではどうすることもできない見通しのつかない日々を過ごすことに焦りや戸惑いが多くありましたが、やっぱり行動することでしか道は開けなかったし、可能性は作れなかった。
ただ、私が取り組んでいる事業は余暇で進む事業であり、コロナ禍では信じられないことに年間でも2000件あるといわれるマラソン大会が9割以上が中止となり、事業のあり方考え方も大きく変わってしまいました。
当然私が従来行っていた事業もできない状況となりました。変化に対応できなかったことは当時のことを考える未熟だったなと反省することがありますが、その中でもおそらく最も自分が苦手でいばら道となる選択肢を選べたことは自分にとって大きな機会になりました。
ただ、閉塞感のある平和のない社会ではどんな大きな選択肢を持ったとしても、参加者は増えないし、衰退しする道を歩んでしまいます。
あらためて、年始の事故事件は日々の生活は当たり前ではないんだと認識させられました。
そうした問題が起きてから対応しては意味がなく、そうした想定を常々おこない、事業を持続することができるようにしつつ、他の可能性を考えていくことも大事だと思います。
そして、何よりも自分の取り組む事業自体が地域再生や地域活性化の力になること
この目的がくずれると事業を継続する意味がなくなるので、毎回そうした大きなことを望むことはできませんが、できる時にできることを!私なりの取り組み方で行っていきます。
その第一歩が明日の事業「瀬戸内リレーマラソンin大竹」になります。
今年も、引き続き自分の好きなことで社会のためになる事業の創出を目標に邁進してまいります。本年もよろしくお願いします。